今回の風景写真は今までとグッと趣きの違う写真をセレクトしました。 私の生家が今回の被写体です。現在は違う場所に実家はありますが、数年前までは私の両親が住んでいました。 カメラマンになって、ふと空を見上げると、そこにはいつも幼い頃ここで見上げた蒼い空と白い雲を思い出します。私の原風景がそこにありました。モノクロームに色はありませんが個人個人で色を付けて下さい。あなたの心のクレパスで。  著作権保護の為、解像度を粗くしています。
写真の無断使用、転載厳禁


私は千葉県南部(安房地方)に生まれた。この写真が私の生誕地である家だ。紅い瓦が周りの常緑樹のなかで映えていた。写真だけでは随分山の中に見えるだろうが実は海まで1分もかからない場所である。早い話が海と山に囲まれていた訳だ。亡くなった爺さんが「関東大震災にもビクともしなかったんだ!」と言っていたが一体何年前から建っているんだよこの家は!
ここに高校を卒業するまで住んでいた。この写真は平成6年に家を新築するので、これが最後の夏になるので撮影したものである。しかし現在も廃屋とかしても健在である。(
数年前に生家は更地になったそうです。)
家の後ろには小川が流れている。魚もハゼ類しかいないがウナギが上がってきたこともある。
物置がありそこには子供の時遊んだオモチャが今ではブリキの残骸に錆び朽ちているだろうか?
おっと、忘れていた。
ここにもう12,3年入れっぱなしのウィンドサーフィンがある。 ある筈だ。 捨ててなければ? 私がサーフィンしていた事を妻も子も見ていないのだ。いつか、チャンスがあればだが。 それよりビニールは腐るのか? なんだか心配になってきたりして(何年ほっといたの)
瓦から植物が生えて来たらかなりくたびれて来た証拠だ。写真的にはその方が良いのだが。この屋根に登ると海が木の間から見えるのだ。今の私の体重では瓦が耐えられそうもないのでやめときます。
馬鹿と煙は高い所が好きなのである子供のころは大丈夫だったのが今は子供にも笑われる高所恐怖症だ。いつからそうなったのか定かでない。時間は怖いほど確実に経過していくのでありました。この家同様年輪を重ねるのである。
海から上がってくると橋を渡り家に向かったのである。国土地理院の五万分の1だったか?この川は記載されているのだ、そこに自家用の橋を所有していたのだ。(だからどうだってんだぁー!)

夜、月明かりがある時はいいが雨や曇りの時は全く明かりが無いのだ。しかし、川に落ちた事がないのが不思議なくらいだ。夜目が利いたのである今より野生に近かったのだろう。
夏はセミがうるさい位に鳴く。柱について鳴く。鳴く鳴く!!写真は音が無いので感じてくださいセミの声をミーンミーンミンミーてかっ!
橋の袂にネズミモチの木があり、それにボールを当てて遊んでいたことを思い出す。勢い余って川に落ちた事もある。この時は落ちるのだみごとに1回転した尻餅着地!
9.80位か?


本来のモノクロームは右のような白黒写真を指しますが、時間が経つと上のようなセピア色にどうしてもなってしまいます。セピア色を最初からご要望の方はプリントの際セピア色に調色します。お試ししてみては如何か。

カラー写真をモノクロに変換するのとモノクロをモノクロにするのと違うんですがご存知ですか?雑誌などはカラーポジで撮影が行なわれます。しかしページの都合上1色ページ(白黒)に回される事もしばしばです。カラー写真のモノクロ反転は青と赤が黒になってしまうのです。モノクロプリントの場合は青はグレーになり赤が黒っぽく表現されます。
微妙な違いですが、こちらサイドとしては、モノクロ用とカラー用は分けて撮影したいものです。
家の前の庭が色々なものが置かれて半分以上使えないでいた。2つ上の兄とここでキャッチボールをしたが、この距離でよく星飛雄馬ばりに全力投球したものだ。成人して故郷へ帰ると全て小さくなるのはどうしてかしら私が太ったからか?そんなわけないか。
木造建築の年数を経たものはモノクロで撮影すると一段と渋いのだ。色はある時邪魔でしかない。モノクロ撮影の楽しみかたでもある。この写真もHP上とプリントでは見え方が違ってくる。どちらがいいかなどはご自分でプリントされたらお判りになろう。
黄色の花が鮮やかに咲いている。色のアクセントに緑と蒼い空に思わずシャッターを押したがこの場合モノクロは無力である。撮影には被写体とカラーかモノクロか、考えてから決めましょう。
夏には独特の匂いがする。腐敗臭であり、生物の発散する生気である。写真は匂いをどう表現しえるか作者の力量の見せ時であるのだ。
風景写真は手軽で誰にも撮影可能である反面、作者の考え1つでどうでも表現方法のある空間が広がっている。モノクロはプリントでも作者の意図が表現できます。暗室作業で同じネガから作出した全く違う作品が誕生するのです。結構、奥が深いのです。
暗室作業は大掛かりな機材を購入しなくてもできます。興味がありましたら挑戦してみては如何か。
石垣が家にはあった。畑が母屋より高いので石垣で分離したのだ。川にも石垣があり川の浸食を防いでいた。梅雨時は赤いカニが出てきて捕まえて楽しんだものだ。今はヤツデが石垣を侵食している。カニが出ている様子はなさそうだ。彼らは今どこに行ってしまったんだろうか。寂しいかぎりではある。
作者の意図を強調するには周辺の処理に気をつけよう!余分なものを出来る限り省略しポイントを中心に、そして感じるのです。あなたが感じたそのものを素直に表現します。



幾星霜をくぐり抜けた板たちである。私の生まれる以前からここで風雨から家を守っていたのである。木の質感は人工では出来ない違った意味での自然である。敬服に値するものです。

家には井戸が2つあった。1つは家庭用に台所の近くと畑用にもう1つが写真のそれである。昔は滑車で水を汲み上げる柱などがあったが、今は手押しポンプも草に埋もれていた。小さい頃、海で泳ぐとここで砂を流した。シャワーの水が日光で虹になるのを不思議そうに眺めていた少年時代、ふと見上げた時の蒼い空にポッカリ浮んだ白い雲が私の原風景である。鮮明に脳裏に刻まれているのだ。家は人(家族)が住んで初めて家である。廃墟が妙に寂しいのは人が住んでいないからなのか。
モノクロの世界は色がないので見た人が自由に色を想像できる。その色はその人の原風景に委ねられているのかも。
いかがだったでしょうか?
何か忘れていたことを思い出したような感覚でこの写真を選びました。人それぞれの幼い日々の過去の記憶を写真は忠実に残してくれます。あなたもこれから写真を始めませんか?わからないことがありましたら私にメールくださいませんか?解決とまではいかなくとも何かの参考位にはなると確信しています。
老婆が一人・・・(あっ!かあちゃんだ!)



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